平安時代、現代の私たちから見ると考えられないような風習や価値観が数多く存在していました。この時代、貴族たちは非常に独特な感覚を持ち、私たちの常識では測れないような生活様式を送っていたのです。この記事では、そんな平安時代の驚くべき価値観や風習を掘り下げてご紹介します。
現代では、髪を露出することは当たり前ですが、平安時代の貴族たちにとっては全く違うものでした。当時、貴族たちは常に冠や帽子を着用し、頭髪を他人に見せることを非常に恥ずかしいと感じていました。特に、冠を落とすことは大きな屈辱とされ、そのような出来事が起こると一大事でした。
例えば、清原元輔という人物が馬から落ちた際に冠も落としてしまい、その時に彼の頭髪が露わになったというエピソードがあります。老齢で髪が薄くなっていた元輔は、周囲から笑われてしまいましたが、彼は逆に笑いを取り、和歌を詠んでその場を和ませました。このように、頭髪を人前で晒すことは、現代で言うところの「下半身を露出すること」と同じくらいの恥ずかしさだったのです。
また、藤原実兼が藤原師輔と口論になり、実兼が師輔の冠を叩き落としたという逸話もあります。これが天皇の目の前で起きたため、実兼は左遷されました。この話は、冠を落とすことがどれほど屈辱的な行為であったかを物語っています。
平安時代の貴族たちは、占いによって生活のあらゆることを決めていました。その一つが「物忌み」であり、特に方角を非常に気にしていました。悪い方角に向かうことが忌避され、たとえ近所に出かけるだけでも、わざわざ別の場所を経由して方角を変えることが日常的に行われていたのです。
例えば、今日は「物忌み」の日だから外出できない、といったことも平安時代では普通のことであり、仕事に行けない理由として通用していました。現代では考えられませんが、当時の貴族社会では、これが当たり前の感覚だったのです。
また、この「物忌み」はしばしば浮気の口実にも使われていました。夫が妻の家に行く予定をキャンセルし、代わりに別の女性の元へ行く際、方角が悪いからと理由をつけて訪問を避けた、ということも少なくありませんでした。妻から問い詰められた際も「方角が悪くて仕方なかった」と言い訳することができたのです。
平安時代の貴族たちは、髪を洗う日でさえ占いで決めていました。現代のように頻繁に入浴することはなく、数日から一週間に一度程度、場合によっては一カ月に一度しか髪を洗わないことも珍しくありませんでした。
特に、女性にとって長く艶やかな髪は美の象徴であり、手入れが非常に重要でしたが、それでも髪を洗う日は慎重に選ばれました。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=GVN3ECAdwSE,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]