日本経済の歴史を語る上で避けては通れない存在――それが「財閥」です。特に、三井、三菱、住友の三大財閥は、戦前の日本経済の中核を担い、その影響力は計り知れないものでした。財閥と聞くと、巨大な資本を持つ企業グループという印象がありますが、その背後にはどんな人物がいて、どのようにして財閥が築かれていったのか。今回は、その知られざる背景や、財閥の成り立ち、さらに戦前の財閥家族たちの生活に焦点を当ててみましょう。
三井財閥の創業者である三井高利は、江戸時代初期に質屋の末っ子として生まれました。商売にあまり熱心ではなかった父に代わり、母から商才を学び、彼はやがて商業の才能を開花させます。
明治時代に入ると、三井家はさらに拡大し、三井銀行(現在の三井住友銀行)や三井物産など、多くの事業を展開しました。特に三井物産は、日本の産業革命において重要な役割を果たし、鉄鋼、石炭、造船などの重工業にも積極的に投資。こうして、三井財閥は日本最大の財閥へと成長していきました。
三井家の特徴は、家族経営に留まらず、外部からも有能な人材を積極的に取り入れた点です。そのため、各企業は比較的自由に運営され、個性豊かな経営者たちが次々と誕生しました。
一方、三菱財閥を創業した岩崎弥太郎は、1835年に貧しい地下浪人の家に生まれました。家計の困窮により、武士の身分を失った家族の中で育った弥太郎は、若い頃に父親のために裁判を起こすも失敗し、その怒りを役所への落書きにぶつけた結果、投獄されるという波乱の人生を送りました。しかし、この投獄が彼の人生を大きく変えるきっかけとなります。獄中で同房の囚人から学んだ商業の知識が、弥太郎の商才を開花させたのです。
その後、明治時代に入ると、弥太郎は海運業を中心とする筑波商会を設立し、これが三菱財閥の基礎となりました。彼は軍需輸送を引き受け、明治政府の信頼を勝ち取ることで、国内の経済の中で重要な役割を担っていきます。そして、彼の死後もその情熱は受け継がれ、弟の岩崎弥之助が造船業や銀行業など新たな事業分野に進出、さらなる成長を遂げました。
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