日本各地には、今もなお歴史の暗部として語り継がれている処刑場が存在します。その場に立つと、不気味な空気に包まれ、背筋が凍ることでしょう。今回は、その中でも特に危険と言われる5つの処刑場を取り上げます。
まずご紹介するのは、東海道沿いにある若松の処刑場です。この場所は、今も多くの噂が囁かれる恐ろしい場所として有名です。戦国時代には、近隣の民衆が犯罪者を見せしめに処刑するため、この地に連れてこられました。特に、処刑を嫌がる者は「犬追坂」と呼ばれる急斜面に蹴り上げられ、滑り落ちた先で処刑されるという残忍な手法が取られたと言います。
江戸時代には、幕府によって数多くの犯罪者がここで処刑され、その亡霊たちが今も彷徨っていると言われています。この場所を訪れると、何かが背後に迫ってくるような気配がすることが多いそうです。
次にご紹介するのは、京都の三条河原です。この河原は平安時代から処刑場として使用され、特に平将門(たいらのまさかど)がここで晒されたことで有名です。戦国時代には、織田信長や豊臣秀吉による処刑が行われ、多くの武士や浪人がここで命を落としました。
三条河原で処刑された者の中には、悪事の限りを尽くした罪人もいれば、冤罪で処刑された人々もいました。今でも夜になると、河原を彷徨う亡霊たちの声が聞こえてくると言われ、地元では絶対に一人で近づかないように警告されています。
東京の東海道沿いに位置する鈴ヶ森の処刑場は、江戸時代に最も有名な処刑場の一つでした。この場所では、さまざまな罪人が磔(はりつけ)や火炙りなど、残虐な方法で処刑されました。とりわけ、当時の治安維持のため、見せしめとして沿道に晒された遺体は、恐怖の象徴となりました。
この地には、今も供養塔が建てられており、時折、夜になるとその周辺で異様な冷気を感じると言います。また、過去に行われた拷問の音が聞こえてくると語られており、歴史好きな人々の間では有名な心霊スポットです。
小塚原の処刑場は、江戸時代の北の入口に位置し、ここでは数多くの志士や無実の罪人が命を奪われました。特に吉田松陰(よしだしょういん)や橋本左内(はしもとさない)など、歴史に名を刻んだ人物もここで処刑されています。
小塚原の処刑場には、今も霊安所があり、訪れる人々は必ず一礼をして帰るようにしています。この場所で聞こえるという「無念だ」という声は、あまりにも悲痛で、まるで今でもそこで亡霊が語りかけてくるかのようです。
最後に紹介するのは、関東の戦国時代の戦場であった八王子城跡です。この場所は、北条氏が守っていた八王子城が、豊臣秀吉の家臣である前田利家(まえだとしいえ)らの軍勢に攻められ、落城しました。この戦いでは多くの侍やその家族が命を落とし、今もその霊が漂っていると言われています。
八王子城跡の山道では、夜になると、武者の甲冑を着た霊が行進する姿が見えると噂されています。また、城跡近くの井戸は「血の井戸」として知られ、この井戸を覗き込むと、処刑された者たちの恨みが込められた血が映り込むと言われています。
戦国時代や江戸時代にかけて、処刑場として使われていた場所には、多くの歴史的な悲劇が刻まれています。もし興味がある方がいるならば、歴史を感じるために訪れるのも良いかもしれませんが、霊感の強い方はご注意ください。これらの場所では、今もなお当時の悲しみと恐怖が漂っているかもしれません。
引用元:https://youtu.be/h0UCjmGXloA?si=pI0ZA4iAGZcwPMZo,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]