昭和50年(1975年)の夏、今でも忘れられない光景が我が家の庭で繰り広げられました。あの時、庭に置かれた小さな子供用プールは、普通なら水でいっぱいにするもの。しかし、この日は水が一滴も張られていない状態で、姉妹二人がニコニコと座っていました。なぜかというと、当時は水を使わなくてもただ「プールに入る」ということ自体がすでに特別なことだったのです。
二人がプールに入っている写真を見ると、今の感覚では少し驚くかもしれません。実際、当時の私たち家族にとっても「なんで水が入ってないのにこんなに楽しそうなんだ?」と思う瞬間でした。だが、姉妹は全く気にせず、むしろ水の有無なんて関係なく、そのプールが「特別な場所」だったのです。
昭和の時代、特に1970年代の日本では、今のように豊かな遊び道具や娯楽が溢れているわけではありませんでした。子供たちは限られた環境や物の中で、最大限の想像力を駆使して遊びを楽しんでいました。プールに入れば、それだけで「特別な体験」を味わえたのです。それがたとえ水が無い状態でも、「プール遊びをしている」という事実が何より楽しいのです。
写真の背景に映るのは、今ではなかなか見ることができない「昭和の庭」。洗濯物が物干し竿に掛かって風に揺れている様子や、木製の塀、そして所々に置かれたバケツや植木鉢が、その時代の生活感を映し出しています。現代ではすっかり見なくなった光景ですが、この時代、どこの家もこんな雰囲気を持っていました。
プールに入っている姉妹だけでなく、写真には当時の家族の日常が映し出されています。写真の中では、母親と叔母が一緒にプールに座って談笑している姿も。特に、叔母がプールの縁に腰掛けて、当時流行していたノースリーブシャツを着ている姿がまた時代を感じさせます。
何も無くても楽しめる、そんな時代だからこその幸せな一瞬がこの写真には詰まっています。このプール遊びには水がないのに、二人は満足気な顔をしています。彼女たちにとっては、この小さなプールが一大冒険のステージだったのかもしれません。
水の入っていないプールで楽しそうにしている姉妹を見て、現代の子供たちは少し不思議に思うかもしれません。「水がないのに何が楽しいの?」と。しかし、当時の子供たちは限られた遊びの中で無限の楽しみを見つける天才でした。例えば、このプールの中で彼女たちはどんな想像を膨らませていたのでしょうか。もしかしたら、「大海原を冒険している船長と副船長」だったかもしれませんし、「お風呂ごっこ」をしていたのかもしれません。
その想像力と柔軟な発想こそが、昭和の子供たちの特徴だったのではないでしょうか。プールに水が入っていないことなんて気にする必要はなく、彼女たちの頭の中では、きっとたくさんの冒険や物語が繰り広げられていたに違いありません。
今の時代は、スマートフォンやタブレット、さまざまなゲーム機が子供たちの身近にあり、何でも簡単に楽しめる環境が整っています。子供たちが退屈することなく過ごせる環境は確かに便利で素晴らしいものですが、あの頃のような「シンプルな遊び」の中で培われる創造力や発想力は、今ではなかなか体験できないものかもしれません。
「水がないのに何でこんなに楽しそう?」という驚きは、現代ではなかなか感じられない発見です。遊びの道具が限られている時代だからこそ、その中で最大限に工夫し、楽しさを見つけ出すことができたのです。この写真を見るたびに、私たちも忘れかけていたシンプルな楽しみ方を思い出します。
昭和の時代、特に1970年代は家族での時間が何よりも大切にされていました。夏の日差しの下、庭で家族が集まり、子供たちが遊んでいる姿が何気なく写真に収められていましたが、その一瞬一瞬が「家族の思い出」として今も語り継がれています。
姉妹が無邪気に笑い合う姿には、そんな昭和の「特別な時間」が詰まっているのです。当時の生活は、今と比べるとシンプルで質素かもしれませんが、その中で感じた「豊かさ」や「楽しさ」は、現代とはまた違ったものでした。
この写真が語りかけるものは、ただの懐かしさだけではありません。
水のないプールでも、笑顔で過ごす姉妹の姿は、シンプルな幸せを教えてくれます。今の時代、便利さや豊かさが当たり前になった中で、私たちが忘れがちな「本当の楽しさ」や「家族との絆」を再確認する機会なのかもしれません。