昭和18年生まれの父が過ごした山口県の秘密尾(ひみつお)。この地名は、一見すると何か特別な場所、あるいは秘境のような印象を与える。しかし、私が幼い頃、父から聞いた話では、秘密尾は決して閉ざされた場所ではなかったという。
まず、私が戸籍で確認した父の出生地は「山口県都濃郡須金村大字須万」だった。ここで驚いたのは、父がいつも話していた「秘密尾」という地名が戸籍には載っていなかったことだ。私は、これを見た時、父が生きている間にもっと聞いておけばよかったと後悔した。どうやら秘密尾という名前は、正式な地名ではなく、地域で親しまれていた呼び方だったのかもしれない。
父の小学生時代、彼は鹿野町立鹿野小学校秘密尾分校に通っていた。
しかし、父が亡くなる前に、ひとつだけはっきりと教えてくれたことがあった。それは「秘密尾は秘境ではなく、むしろ明るく開かれた町だった」ということだ。
私は、父が小学校高学年だった頃の写真を見つけた。そこには3人の少年が写っており、左下の少年が父だった。昭和20年代の田舎の風景に溶け込んだ彼らの姿は、懐かしさを感じさせるものだったが、ある日、ふと思い立ってその写真をカラー化してみた。アプリを使ってカラー化すると、白黒写真では気づかなかった細かなディテールが浮かび上がり、父や友人たちが長靴を履いていることや、背景の自然がいっそう鮮明に見えてきた。
特に印象的だったのは、背景に広がる緑の美しさだった。
秘密尾での父の日常は、非常にシンプルでありながら、豊かであった。父が小学生だった頃、通学路は山道を通る細い道だった。父は幼い頃の自分が、その道を歩いて学校に通う姿をよく話してくれた。朝、緑に囲まれた山道を友達と歩きながら、自然の音に耳を傾ける。学校では、友達と劇をしたり、遊んだりと、楽しみに満ちた日々が過ぎていったという。
父が通った鹿野小学校秘密尾分校は、子どもたちが楽しめるような行事も多かったようだ。分校での学びは決して大きなものではなかったかもしれないが、父にとっては大切な時間だった。しかし、この分校も昭和52年(1977年)に閉校し、現在では公民館として使用されている。
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