1008年、彰子の出産直後、宮廷では「御説法」と呼ばれる重要な儀式が控えていた。これは貴族たちがそれぞれの家柄を誇示するための舞姫を献上し、その技量を競い合う場でもあった。藤原道長の娘である彰子のサロンは、この儀式に向けて、どの家がどれだけの力を注ぐかを見極める重要な時期を迎えていた。
紫式部は、当時、彰子に仕える女房として、彼女の文化的な側面を補強する役割を担っていた。『源氏物語』を通じてその知識と才能を披露していた彼女は、宮廷内での立場をさらに強固にしようとしていたのだ。
左京の君は、内大臣藤原実成の姉であり、かつては一条天皇に仕えていた高級女房だった。しかし、その後、表舞台から姿を消し、今回の「御説法」では舞姫の付き添い役として、舞台裏に立つ存在となっていた。これに目をつけたのが紫式部をはじめとする彰子の女房たちである。
彼女たちは、かつて一条天皇に仕えた高貴な身分の左京の君が、舞台裏で地味な役割を担っていることを嘲笑の対象とし、皮肉を込めた贈り物をすることを決めた。紫式部は、彼女の知識を駆使して、漢詩や神話を盛り込んだ高尚な嫌がらせを仕掛ける。贈り物には、伝説の不老不死の仙人が住む「蓬莱山」を描いた扇が選ばれた。これは、老いても未練がましく舞台に関わる左京の君を暗に揶揄する意図があった。
さらに、「陰の桂」という木を贈ることで、左京の君が裏方に隠れていることを皮肉り、彼女を表舞台に引きずり出そうとする意図が込められていた。
しかし、事件はここで終わらなかった。左京の君の兄である藤原実成は、この皮肉をすぐに見抜き、紫式部らに対する返礼を行った。その返礼品は豪華な装飾が施された鏡であり、さらに紫式部らが贈った歌に対しても、見事な反論の歌が添えられていた。特に、この鏡には人の心の誠を映し出すという意味が込められており、紫式部らの陰湿な行為を映し返すかのような意図が隠されていた。
この返礼により、紫式部の高慢な計画は見事に打ち砕かれた。さらに、彼女が得意としていた漢文知識を駆使して仕掛けた皮肉が、同等以上の知識で返されたことにより、紫式部は大きな屈辱を味わうこととなった。日記には、この事件について詳細な記述は見られないが、贈り物が返されてきた場面での混乱や失態をあえて隠そうとした痕跡が見られる。
紫式部は、この事件を隠そうと必死だった。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=PFRFt_C5i_E,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]