時は寛弘三年、三条天皇が即位して三年が過ぎた。天皇の側近である藤原道長は、自身の娘・彰子が生んだ皇女に喜びを見せつつも、皇子が生まれなかったことに深い失望を隠しきれなかった。自分の血を引く皇子を後継者にしたいという願いが強かった道長にとって、皇女の誕生は期待外れでもあった。
さらに、近年、天皇の健康状態が悪化し、視力と聴力が衰え始めていたことは宮中の誰もが知るところだった。三条天皇は、視力が衰えた状態でもなんとか公務を続けようとするが、その姿を見守る道長は、天皇が国政を司るには限界が近づいていると確信する。しかし、道長が何度「譲位」を提案しても、天皇はこれを断固として拒否。天皇の信念が固いほどに、道長の焦燥も増していくのだった。
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