平安時代の働く女性は、今の時代のキャリアウーマンにも通じる忙しさを持っていました。今回のテーマは、平安時代の女房(にょうぼう)です。大河ドラマ「光る君へ」でも、宮中に多くの女房たちが登場しますが、実際には彼女たちがどんな仕事をしていたのかを詳しく知っている方は少ないのではないでしょうか。
まず、そもそも「女房」とはどのような存在だったのかを簡単に説明します。平安時代から江戸時代にかけて、皇宮や貴族の屋敷に仕える女性たちを「女房」と呼んでいました。彼女たちは天皇や貴族の身の回りの世話をするだけでなく、宮中の様々な事務を担当していました。
高貴な階級の女性たちが多かったため、彼女たちの役割は単なる「家事係」ではなく、宮中での政治的な事務や儀式の運営も担当していました。現代で言えば、秘書やマネージャーに近い役割を果たしていたといえます。
女房たちはただの侍女ではなく、宮中において非常に重要な仕事を担っていました。例えば、「内侍司(ないしのつかさ)」という役職に就く女房は、天皇の近くに仕え、日常の儀式や手紙のやり取りを管理していました。天皇の書状を作成し、それを他の役職の貴族に届けるという、まさに現代でいう「秘書」の役割です。
また、「内侍(ないし)」という高位の女房は、天皇の命令を直接伝える役割を持ち、非常に高い教養と知識が求められました。彼女たちは、宮中での正式な儀式や行事の運営も担当しており、その責任は非常に重いものでした。
その他にも、宮中の掃除を担当する「殿森(とのもり)」や、衣服の管理をする「装束司(しょうぞくのつかさ)」など、多岐にわたる役割が女房たちに与えられていました。
平安時代の女房たちは、職業としての役割を全うするだけでなく、宮中での社交や恋愛模様でも重要な存在でした。当時、貴族の男性と女性が直接顔を合わせることはタブーとされていたため、恋文のやり取りが主なコミュニケーション手段でした。女房たちは、その恋文を届ける役目も担っていました。
さらに、女房たち自身も恋愛の対象となることが多く、例えば和泉式部(いずみしきぶ)や紫式部(むらさきしきぶ)など、当時の女流文学者たちは、自身の恋愛経験を元にした作品を多く残しています。彼女たちの恋愛はしばしば宮中で大きな話題となり、ドラマさながらの展開を見せることも少なくありませんでした。
紫式部や和泉式部をはじめとする平安時代の女流作家たちは、単に作家としてだけでなく、女房としても宮中で重要な役割を果たしていました。
彼女たちは、宮中での経験を通じて知識を深め、優れた教養を持つ女性として高く評価されました。
紫式部が書いた『源氏物語』も、彼女が宮中で過ごした経験が色濃く反映されています。実際に、天皇や貴族たちと近くで接し、その生活を観察することができた女房たちは、文学や文化の発展に大きく貢献したのです。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=dr2GUwEyHv8,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]