紫式部と藤原実資の関係は、長く続く「小右記」に記された記録からも伺えます。式部が実資に注目したのは、ある宴の席で彼が女房たちの衣の枚数を数えている様子を見てからでした。当時、贅沢を避けるため衣装に制限があったにも関わらず、派手に着飾る人が多かったのですが、実資はそれを冷静に監視し、その厳格さに式部は感心したと言われています。「他の方と違う」という評価が、その場で彼女の心に刻まれたのです。
式部は、実資に対して好意的な評価を持ち、次第に親しい関係を築きました。しかし、彼らの交流にはロマンス以上に、互いに尊敬し合う知的なつながりがあったのかもしれません。式部は、現代風の派手な印象ではなく、静かで品格のある彼に強く惹かれたと言われています。宴の中でも彼は芸を披露することを避け、控えめに振る舞っていたという記録が残っており、その姿に式部は親近感を覚えたのです。
式部と実資の関係は単なる親密さに留まらず、実務的なつながりもありました。三条天皇の治世の時代、式部は道長の娘・彰子と実資の間を取り持つ「取次女房」として働いていたと考えられています。藤原実資が彰子に何か要件がある場合、直接ではなく式部を介して伝えることが一般的でした。このようにして、二人は信頼関係を築き、しばしば個人的な会話も交わしていたとされています。
「小右記」には、実資が彰子の様子を伺う際、式部が仲介役として動いていたエピソードが幾度も記されています。ある時、実資の息子が彰子に仕える女房と面会し、彼女から彰子の健康状態を聞き出しました。この女房こそが紫式部だったと考えられています。実資は彼女に「他の人とは違う存在」として特別な信頼を寄せ、重要な報告も式部を通じて行っていたのです。
藤原実資の「小右記」には、式部が亡くなったとされる具体的な記録は残されていませんが、彼女の父が出家した千十六年以降、式部の消息が途絶えているため、その頃亡くなった可能性が示唆されています。ただ、千十九年に実資が彰子とのやり取りに登場する女房が「昔から知っている人物」として語られていることから、その女房もまた紫式部であると考えられ、彼女がその後も生きていた可能性も否定できません。
大河ドラマ「光る君へ」では、紫式部と藤原道長の関係が中心に描かれていますが、歴史的には実資との知的な交流もまた深いものでした。
このドラマで実資と紫式部の絆がどのように描かれるかが視聴者の注目を集めています。
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