まひろは、源氏物語の執筆を進める中で、自身の運命に対するある種の予感を抱きます。この「罪」と「罰」という二文字は、単に物語のアイデアではなく、彼女自身の人生における重大なテーマを暗示しているのです。この記事では、この二つの言葉の背後にある意味について、まひろの内面を探りながら考察していきます。
まず、「罪と罰」という言葉には二つの意味があると考えられます。一つは、光源氏の物語における「罪と罰」、そしてもう一つは、まひろ自身の人生における「罪と罰」です。
物語における「罪と罰」は、光源氏の過去の行為、特に彼が父の妻である藤壺の宮との不義の恋によって引き起こされる因果応報の物語です。若き日の光源氏は、禁じられた恋に手を染め、その結果として後に彼の妻が他の男性に奪われるという罰を受けます。
この因果応報というテーマが、まひろの心に浮かんだ「罪と罰」の一つの意味です。
まひろがこの着想を得て「罪と罰」という二文字を記したのは、物語の続編を構想している中で、この因果応報のテーマが頭に浮かんだためだと考えられます。つまり、彼女は次の物語の展開を予感し、そのキーワードとして「罪と罰」を書き記したのです。
次に、まひろ自身の「罪と罰」について考えてみましょう。まひろはこれまで、自分の経験を物語に反映させてきました。しかし、ここから物語の出来事が現実の彼女自身の人生に影響を与えるようになるという予感を抱いています。言い換えれば、彼女は物語を描くことで自分の未来を予言しているのです。
まひろは、自身の人生がこれまでの生き方に対する「罰」として、何かしらの試練や苦しみを経験するのではないかという予感を抱きます。彼女が記す「罪と罰」は、まさにその未来を予見しているかのようです。
まひろが「罪と罰」と記すシーンでは、娘の片子が暗がりからその様子を見ています。このシーンにおける片子の存在は、非常に重要な意味を持っています。まひろの「罪と罰」は、単なる男女間の問題ではなく、親子関係に関連している可能性が高いのです。
片子は、母であるまひろに対して強い不満を抱いており、その不満を露わにするシーンがあります。彼女はまひろに「母上が賢くなかったせいで、私はこんな貧しい家で暮らさなければならない」と厳しく責め立てます。この言葉は、まひろがかつて自分の母親から言われた言葉と重なります。まひろの母親もまた、夫に尽くして命を落とし、まひろを守ることができなかったため、まひろはその過去を背負って生きてきたのです。
まひろ自身が母親としての役割に悩む姿は、物語の中での光源氏の罪と罰のテーマと見事に重なります。まひろが感じている「罪」とは、自身の生き方や過去に対する後悔であり、それに対する「罰」は、彼女の娘である片子との関係の中で現れるのかもしれません。
物語のラストシーンでは、まひろが道長から贈られた扇を開き、その絵を見つめます。その絵には、まだ罪を知らない少年サブローと、純粋な少女であったまひろの姿が描かれています。しかし、時が経ち、二人は大きく変わりました。サブローは権力者道長となり、まひろもまた流行作家として成功を収めましたが、彼らはかつての純粋さを失ってしまったのです。
このシーンで、まひろが見つめる扇の絵には、罪を知らなかった時代への郷愁が感じられます。まひろはもう戻れない過去を振り返り、現在の自分が抱える「罪と罰」を深く考えているのかもしれません。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=H2k-64WISsw&t=20s,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]