日本の昭和時代は、高度成長期を迎え、社会や生活が大きく変わった時代です。その時期、子供たちが普通に購入できたものが今では信じられない、という話が今、海外でも注目を集めています。戦前から戦後にかけて、日本の子供たちは、今では到底考えられないようなものを簡単に手に入れることができたのです。
1960年に発売された「ダッコちゃん」は、ビニール製で空気を入れて膨らませる人形です。子供たちはこの黒い人形を腕に抱きつけて持ち歩くことが流行しました。発売当初、「木のぼりウィンキー」や「黒ん坊ブラちゃん」という名前で販売されていたこの商品は、瞬く間に大人気となり、180円という当時の価格でも多くの子供たちに手が届くものでした。
昭和の駄菓子屋は子供たちの楽園でした。真っ赤に染まったダイコンやスモモ、そして梅ジャムなど、どれも現在では健康問題から敬遠されがちな着色料や保存料がたっぷりと含まれていました。それでも、これらの駄菓子は当時の子供たちにとっては手軽な楽しみの一つであり、大人になった今でも懐かしむ人が少なくありません。
縁日や祭りでよく見かけたのが、染料でカラフルに染められたヒヨコたちでした。赤や青、ピンクなどに着色されたヒヨコは、子供たちの心を掴み、一度に何羽も買ってしまう子もいたと言われています。本来の色のヒヨコよりも、色とりどりのヒヨコが人気だったのです。
夏休みの自由研究と言えば、昆虫採集セットが定番でした。このセットには、虫眼鏡やピンセット、防腐剤、そして注射器付きの殺虫剤が含まれており、子供たちはこれを使って昆虫の標本を作りました。しかし、その後、事故が相次いで発生し、販売が停止されることになったのです。
駄菓子屋では、子供たちが簡単に手に入れることができた「爆竹」も人気商品でした。昭和のアグレッシブな子供たちは、これを使ってカエルやセミを爆破させるという遊びをしていたそうです。現在では考えられない行動ですが、当時はそれが日常だったのです。
河原などに捨てられていたエッチな本も、昭和の子供たちにとっては興味の対象でした。拾った子供たちは、ドキドキしながらそれを見ていたと言われています。
現在では、ソフトエアガンでも10歳以上が対象となっていますが、昭和の時代には子供たちでも簡単に手に入れることができました。特に人気だったのは、本物のような重厚感を持つモデルでした。
今ではスポンジや吸盤がついた安全なボウガンが主流ですが、昭和の時代には本物に近いものも売られており、子供たちにとっては憧れのアイテムでした。
昭和の時代には、刃物も子供たちが比較的簡単に購入できるものでした。バタフライナイフやペンナイフなど、危険な道具が平然と駄菓子屋に並んでいたのです。
自動販売機で24時間、誰でも買うことができたお酒。昭和の時代には、子供たちでもお金さえあればお酒を購入することが可能だったのです。
田舎では今でも一部の自販機が稼働していることもあります。
カンシャク玉やテープ状の火薬も、駄菓子屋でよく見かけました。これを使って地面に打ち付け、大きな音を鳴らして遊んでいたのです。
お酒と同様、タバコも自動販売機で24時間購入可能でした。昭和の時代には年齢制限も曖昧で、子供たちがタバコを買うことも珍しくありませんでした。
昭和の若者たちの間で流行した「睡眠薬遊び」は、市販されていた睡眠薬を大量に摂取して気を失う遊び方でした。1960年代には睡眠薬が子供でも買える状態だったため、社会問題となり、規制が強化されました。
シンナーを吸い込んで意識を飛ばす「シンナー遊び」が1967年頃から若者の間で流行しました。その後、1972年に規制が厳しくなり、販売が制限されることとなりました。
かつては合法だった覚醒剤「ヒロポン」。戦時中には疲労回復薬として広く使われており、昭和初期には子供でも手に入れることができましたが、戦後すぐに禁止され、現在では違法薬物として厳しく取り締まられています。
こうして見ると、昭和の子供たちは本当に「ギリギリを生きていた」と言えるかもしれません。現在では考えられないものが当たり前に手に入っていた時代。それを知ることで、昭和の時代の自由さと危うさが垣間見えるのではないでしょうか。