藤原道長と紫式部、この2人の名前を聞くだけで、平安時代の宮廷の華やかさが思い浮かびます。特に、道長の寵愛を受けた多くの女性たちの中でも、紫式部の存在はひときわ異彩を放っています。彼女が『源氏物語』を執筆しながら、道長との間にどのような関係が築かれていたのか。その真相を追いかけることで、当時の宮廷生活の一端を垣間見ることができます。
物語の始まりは、彰子の出産に向けた準備が進む中で、式部が道長の邸宅である土御門殿に身を寄せるところからでした。1008年の春、彰子が出産のため土御門殿に移った際、女房として紫式部も同行し、生活を共にすることになります。これを機に、2人の関係は急速に進展していくのです。
紫式部日記には、道長と式部のやり取りが記録されていますが、それらは恋愛感情を匂わせるものでありながらも、決定的な証拠とはなりません。その中でも、特に注目すべきは、ある夜の出来事です。
日記には道長とは明記されていない「男」が夜中に式部の部屋を訪ねた場面があり、これが2人の恋愛の始まりと見られています。
その夜、道長は式部の部屋の戸を叩きますが、式部は物音を聞きながらも恐怖から声を出せず、夜を明かしてしまいました。翌朝、道長は戸を開けてくれなかったことを恨む未練たっぷりの歌を送り、式部も冷ややかな返歌を返します。このやり取りは、平安時代の男女の駆け引きとしてはよくあるものでしたが、道長の熱意が伝わってきます。
土御門殿での生活の中、式部は彰子に仕えながら、『源氏物語』の執筆に励んでいました。ある日、道長が偶然にも『源氏物語』の原稿を目にした際、彼は即興で歌を詠み、式部に贈ります。歌の内容は、酸っぱくて美味しい梅の実を人々が次々に取っていく様子を引き合いに出し、恋愛小説の作者である式部をからかうものでした。これに対し、式部も自分を頼ってくる人などいないと抗議する歌を返します。
これらのやり取りから、道長が式部に対して特別な感情を抱いていたことが伺えます。
道長の接近はますますエスカレートし、やがて彼は式部の『源氏物語』の原稿を無断で持ち出してしまいます。これに対して式部は大いに不満を抱きながらも、道長との主従関係においてそれを表立って非難することはありませんでした。このような道長の行動からも、彼がいかに式部に対して独占欲を持っていたかが感じられます。
彰子が無事に男児(敦平親王)を出産した後も、道長と式部の関係は続きます。日記の記述からは、道長が式部に対して深い信頼を寄せていたことが読み取れます。特に印象的なのは、道長が自分の弱みを式部にだけ打ち明けた場面です。道長は、もし息子が生まれなかったら、自分の家系はどうなっていただろうという不安を語り、それを唯一、式部にだけ打ち明けました。このように、権力者としての顔ではなく、一人の男としての道長が見せた心の内を知ることができたのは、式部にとっても特別な体験だったことでしょう。
紫式部日記の記述からは、2人の関係が単なる主従を超えていたことが伺えますが、それが恋愛であったのか、または肉体的な関係があったのかについては曖昧なままです。式部が娘・賢子(かたこ)に日記を見せることを想定していたため、敢えて道長との決定的な関係をぼかして書いた可能性が高いです。
紫式部は日記の中で、同僚女房たちについての批判や、自分の宮中生活における本音を率直に記しています。しかし、道長に対しての思いについては、核心を避け、あくまで「匂わせる」形で記述されています。これには、彼女が娘に同じ道を歩んでほしくないという母親としての願いがあったのではないでしょうか。