一条天皇が詠んだ「君を起きて」の歌の「君」とは一体誰なのか――これは、平安時代を語る上で、重要かつ永遠の謎の一つです。一条天皇の2人の后、定子と彰子。彼がこの歌を詠んだ際、彼の心に浮かんでいた「君」はどちらなのか。この記事では、当時の背景や仏教観を踏まえながら、この謎に迫ります。
一条天皇の生涯には、2人の重要な后が登場します。第一に、藤原道隆の娘である定子。彼女は一条天皇にとって最初の正妻であり、深い愛情で結ばれていました。しかし、道隆が死去し、藤原道長が台頭することで、定子は宮中での影響力を失い、その後、不幸な運命に見舞われます。彼女は出家と還俗を繰り返し、最終的には産後の病で若くして亡くなります。
一方、道長の娘である彰子は、定子の死後に一条天皇の后となります。道長の権力によって後宮に迎えられた彰子は、長い年月をかけて天皇の信頼を得て、息子を産むことでその地位を確固たるものにしました。
この二人の女性が、一条天皇にとってどのような存在であったのか。そして、彼が「君を起きて」と詠んだ際、彼の心にはどちらが浮かんでいたのか、これは大いに議論の余地がある問題です。
まず、一部の学者やファンの間で支持されている説に、「君」は定子を指しているというものがあります。この説の背景には、定子が成仏できていない可能性があるという仏教的な解釈があります。
定子は、その生涯において仏教的に見て「罪」を犯したと考えられていました。まず一つ目の罪は、彼女が出家しようとしたものの、その後還俗してしまったことです。仏教では、出家は神聖な行為とされており、一度出家を宣言した後に還俗することは、仏教の教えに反する行為とされました。これが「還俗の罪」として、定子が成仏できない一因とされています。
もう一つの罪は、産後の死です。彼女は子供を産んだ後、病に倒れ、そのまま亡くなりました。当時の仏教思想では、出産で命を落とすことは、子供を残して死ぬことにより、その子が不幸な人生を送る可能性が高まるとして「罪深い」と見なされていました。
この二つの「罪」によって、定子の魂は現世に留まり、成仏できていないのではないかという説が浮上したのです。このような背景を持つ定子を、臨終の際に思い出し、彼女のことを「君」として詠んだという解釈は、確かに一理あります。
一方で、もう一つ有力な説として、一条天皇の「君」は彰子であるとする見方があります。これは、当時の一条天皇の生活や状況を考えると、彼の身近にいたのは彰子であり、歌を詠んだ際にも彼の心には彰子が浮かんでいた可能性が高いというものです。
彰子は、一条天皇の晩年においてその支えとなり、彼に二人の子を産んでいます。
天皇にとって、彰子は後宮における信頼の存在であり、最も身近な女性でした。このため、「君」が彰子を指していたとしても不自然ではありません。
また、彰子が一条天皇にとって「現在の」君であったことから、彼が彼女に向けて最後の別れの歌を詠んだという解釈は、歴史的資料や記録からも支持されています。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=dzr55FeMW-g,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]