平安時代の権力者である藤原道長と「源氏物語」の作者である紫式部の間には、長年にわたり謎めいた噂が流れてきました。彼女が宮廷の女房として道長に仕えたことから、二人の間にただならぬ関係があったのではないかと囁かれています。そして、この噂の発端は紫式部自身が記した「紫式部日記」にあると言われています。
紫式部日記には、ある晩、誰かが彼女の部屋を訪れたことが記されています。しかし彼女はその扉を開けることなく、一夜を過ごしたとされています。この出来事をきっかけに、後世では「道長が訪れたのではないか」「拒んだのは一時的で、後に関係を持ったのではないか」といった憶測が飛び交いました。
当時、紫式部が道長を拒む理由があまり考えられなかったため、彼女が何らかの関係を持ったのではないかという見方が強まったのです。
この出来事の少し前に、二人の間で和歌を交わす場面がありました。紫式部は、道長が源氏物語を手に取って彼女をからかった際、即座に返歌を詠んでいます。
道長が、庭の梅の実を指して「誰もがこの実を摘み取ってしまうだろう」と冗談を飛ばすと、紫式部は「誰にも摘まれていない実がすっぱいかどうか分かるはずがない」と返し、自分がまだ男性に頼られていないことをほのめかしました。このやり取りは、紫式部の機知と自信を感じさせるもので、道長も彼女の才能を称賛したと言われています。
紫式部が道長を拒んだ夜、彼女は明け方に届いた和歌に対し、「扉を開けなかったことは賢明だった」と返答しています。日記には、この時の訪問者が誰であったか明記されていませんが、和歌のやり取りやその前後の出来事から、道長であったと推測されています。
夜中に何度も扉を叩く音を聞いた紫式部は、恐怖心からその訪問者を拒絶しました。翌朝に届いた和歌は、冷たくあしらわれたことへの未練を示すものでしたが、紫式部はそれを見事に交わしました。このやり取りが後の噂のきっかけとなり、道長との恋愛関係があったのではないかという話が広がったのです。
平安時代の貴族社会では、和歌を通じての交流や恋の駆け引きが頻繁に行われていました。紫式部も道長との間で何度か和歌を交わしており、それが二人の親密さを示すものとして後世に伝えられたのです。しかし、実際に二人が恋愛関係にあったかどうかは定かではありません。
また、紫式部は「源氏物語」で多くの恋愛模様を描き、その内容が道長に興味を持たれる要因となりました。道長は紫式部の才能に魅了され、彼女をからかいながらも、その才能を認めていたことは確かです。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=C0Mb99XWlHU,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]