紫式部と「日本紀の御局」と呼ばれた左衛門の内侍の対立は、宮廷内での派閥争いと権力の駆け引きに深く根ざしています。この対立の背景には、文学的な才能の評価を巡る嫉妬と、宮中の権威を巡る緊張が絡み合っていました。
紫式部が宮廷に入った際、彼女はすでに『源氏物語』の一部を執筆しており、その才能は一条天皇からも高く評価されていました。しかし、宮中には彼女を歓迎しない人々も多く、その中でも特に敵意を露わにしていたのが左衛門の内侍でした。
紫式部が「日本紀の御局」と呼ばれた理由は、一条天皇が彼女の才能を称賛し、「彼女こそが日本紀(日本の歴史を記した書物)を読むにふさわしい人物だ」と語ったことに由来します。これは、学識や文学の深さを讃えるものであり、紫式部に対する大きな賛辞でした。
しかし、この天皇の言葉が左衛門の内侍にとっては、紫式部が宮廷で特別視されている証拠と感じられたのです。
左衛門の内侍は宮廷内で自らの地位を守りたいという思いから、紫式部を敵視するようになりました。彼女は、紫式部に対して「日本紀の御局」と皮肉を込めて呼び、その才能を嘲笑する形で広めていきました。
左衛門の内侍が紫式部を批判する背景には、紫式部が『源氏物語』に描いたキャラクターが大きな要因としてありました。『源氏物語』には、「現の内侍」として知られる、官職に就いている女性が登場します。このキャラクターは、年配の女性でありながらも色好みで、若い光源氏に思いを寄せるという、ある種滑稽な存在として描かれています。
宮中では、この「現の内侍」のキャラクターが、左衛門の内侍の先輩であった源の明子をモデルにしているのではないかという噂が広がりました。源の明子は、左衛門の内侍にとって尊敬すべき先輩であり、その彼女が『源氏物語』で戯画化されたように描かれたことで、左衛門の内侍は深い恨みを抱くようになったと考えられます。
紫式部自身、左衛門の内侍からの悪口や批判を耳にし、そのことを『紫式部日記』に記しています。彼女は「私には思い当たることがない」としながらも、宮廷内での立場に対する不安と孤立感を感じていたようです。
特に、紫式部が『源氏物語』を通じて自らの文学的才能を認められていく一方で、左衛門の内侍との対立はますます激化していきました。紫式部は、自らの作品が一条天皇に高く評価されたことで、宮中での立場が上がったと感じていた一方、左衛門の内侍からの攻撃が続く中で、内心では大きなプレッシャーを感じていたに違いありません。
この対立は単なる個人的な嫉妬にとどまらず、宮廷内の派閥争いが背景にあったことも忘れてはなりません。紫式部は中宮彰子に仕えていた一方、左衛門の内侍はその対立する派閥に属していました。
宮廷内での派閥争いは、単なる人間関係だけでなく、権力や地位を巡る激しい駆け引きの一環でもありました。
左衛門の内侍が紫式部に敵意を抱いたのは、紫式部が単なる「物語作家」以上の存在として宮廷での地位を確立していく中で、彼女の影響力が大きくなり、自らの立場が脅かされると感じたからでしょう。天皇からの寵愛を得た紫式部の存在は、左衛門の内侍にとって、己の立場を揺るがす大きな脅威であったのです。