源の亜子は、最愛の息子である藤原秋野が出家したことで深い悲しみに打ちひしがれていました。秋野が自ら出家を選んだと知りつつも、亜子はその決断に納得できず、道長に対し「どうか息子を返してほしい」と切実に訴えます。しかし、道長の兄・年方は「秋野は宮中の権力争いから離れ、心の平穏を得るために出家を決意したのだ」と穏やかに説明するのみでした。
一方、道長は表向きは冷静を装っていましたが、内心は不安で心が乱れていました。側近のモ彦が食事を勧めるも「喉を通らん」と拒み、重苦しい表情で「どうしてこんなにも心が乱れるのか……」と独り言のようにつぶやきました。
4月、道長はついに比江山を訪れ、出家した秋野と面会します。秋野の姿を目にした瞬間、道長は抑えきれない涙を浮かべ、震える声で「何がそこまでお前を追い詰めたのか?」と問いかけます。
秋野は静かに顔を伏せ、やがて「私はただ、自分の道を探したかっただけです」と答えました。道長は一瞬の沈黙の後、息子の選択を受け入れるしかありませんでした。
道長と三条天皇の覇権争いはますます激化します。天皇は藤原家の娘を皇后に立てるよう命じましたが、道長は「例がない」として反対。しかし、天皇の強硬な態度に道長はついに屈服し、その後も策を巡らせて天皇に対抗しようと試みました。彼は自分の娘を代参入させて、天皇の式典を妨害する計画を立てますが、天皇も対策を講じるなど激しい駆け引きが続きます。
その後、清子の代参入が行われますが、三条天皇の思惑通りにはいきませんでした。藤原の宗助は天皇のみに忠誠を誓う立場を表明し、「天に二つの日なく、土に二つの主無し」との日記を記して、自分が仕えるべきは天皇ただ一人であることを示しました。
この言葉は道長にも伝わり、彼もまたその姿勢に渋々ながらも理解を示しました。
道長は体調を崩し、三条天皇に辞表を提出しますが、天皇はそれを受け取らず、さらに新たな策を練ります。天皇は不穏な噂を流し、道長の病を歓迎するかのような内容の文書を宮中に広めました。これにより、道長はますます孤立感を深めていきます。
真尋もまた、自身の使命に疑問を抱き、筆を置いてしまいました。幼い頃から物語を描き続けてきた彼女が筆を止めたことで、娘の肩子は不安を抱きます。周囲は真尋を慰めようとしますが、彼女は「新しい自分の道を探さなければならない」と決意を固め、周囲を驚かせます。
そんなある日、モ彦が真尋のもとを訪れ、道長が体調を崩していることを告げ、彼女に会ってほしいと懇願します。真尋は道長の別荘へ向かう決心をし、衰弱した道長の姿に胸を痛めます。二人は川辺を散策しながら静かに語り合い、道長は「誰も信じられない」と呟きます。その言葉に真尋はそっと寄り添い、かつて道長に託した「国を良くしてほしい」という願いを忘れてほしいと告げましたが、道長は「お前との約束を忘れたら、私の命も終わりだ」と答えました。
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