紫式部が『源氏物語』を執筆したことで、なぜ「地獄に堕ちた」とされるようになったのか。平安時代から鎌倉時代へと移り変わる中で、日本社会がどのように変化し、その変化が彼女とその作品の評価に影響を与えたのかを紐解いていきます。時代を超えて愛される『源氏物語』の背後にある仏教的な見解と、社会の価値観の変遷について考察していきます。
平安時代において、紫式部は『源氏物語』を通して宮廷文学の頂点を築きました。藤原道長をはじめとする多くの貴族たちに支持され、王朝文学の黄金期を象徴する存在としてその名を馳せました。しかし、時が経つにつれて、彼女の作品に対する評価は一変します。鎌倉時代には、紫式部が「地獄に堕ちた」という噂が広まり、その原因が『源氏物語』にあるとされました。
この地獄に堕ちた理由について、仏教の教えに照らして説明されることがあります。
仏教の戒律の中には、「不妄語戒(うそをついてはいけない)」という戒律がありますが、紫式部が『源氏物語』のような架空の物語を創作したことが「嘘」を書いたと見なされ、この戒律に違反したとされました。また、「不邪淫戒(ふじゃいんかい)」も重要な要素です。源氏物語は恋愛や貴族の情事を題材にしており、これが道徳に反するものと解釈され、彼女が地獄に堕ちた原因とされたのです。
平安時代後期から鎌倉時代にかけて、日本は武士が台頭し、政治の中心が貴族から武士へと移行していく時代を迎えました。この時代の変化は、文化や価値観にも大きな影響を与えました。平安時代には宮廷で栄えた王朝文学が、戦乱の世の中では「虚構」であり「現実逃避」のように見なされるようになり、批判の対象となったのです。まるで、戦時中に英語を学ぶことが非国民扱いされたように、戦乱の時代には『源氏物語』のような貴族的な物語が批判されることは、避けられない運命だったのかもしれません。
また、鎌倉時代には仏教思想がさらに浸透し、「末法思想(まっぽうしそう)」が強く信じられるようになりました。これは、仏教の教えが衰退し、人々が救われにくくなる時代に突入したという考え方です。この思想の中では、道徳的な堕落が進んだとされ、『源氏物語』のような物語がその象徴とされたため、紫式部はその罪によって地獄に堕ちたと信じられるようになったのです。
鎌倉時代に成立した『今昔物語集』の中で、紫式部は夢の中で「偽りごとを書いた罰」で地獄に堕ちたと訴える姿が描かれています。彼女は、自分が描いた物語が原因で苦しんでいることを伝え、成仏するために供養を求めました。このエピソードが広がり、紫式部と『源氏物語』を供養する「源氏供養」という文化が生まれました。この供養は、中世において能や歌舞伎といった舞台芸術の題材にもなり、紫式部の物語が新たな形で再評価される一方で、その罪深さが繰り返し語られることにもなったのです。
興味深いことに、紫式部はただ地獄に堕ちた存在として描かれたわけではなく、観音菩薩の庇護を受ける存在ともされていました。滋賀県の石山寺では、紫式部が観音菩薩の導きを受けて『源氏物語』を執筆したという伝説が今も語り継がれています。このように、彼女の存在は、罪深さと同時に聖なる力を持つ象徴的な存在として、二重の評価を受けていたのです。
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