昭和の時代――それは今となっては想像もつかないような習慣や日常が繰り広げられていた時代です。令和の現代からは考えられないようなことが、当たり前に行われていた昭和。その「やばさ」を垣間見ることで、過去の日本社会を振り返りながら、現代との違いを実感する機会となるでしょう。
今では考えられませんが、昭和時代、新幹線や在来線の車内でタバコを吸うのは普通のことでした。1964年に開業した東海道新幹線でも、全車両で喫煙が可能で、窓から煙草の煙が流れ込む光景は日常茶飯事でした。2019年に700系の引退をもって完全禁煙となり、昭和の名残がついに消え去りました。
病院と言えば健康を守る場ですが、昭和の時代には病院の待合室でもタバコを吸うことが許されていました。今では信じられない話ですが、受付の前でパカパカと煙を吐く患者たちの姿がありました。
これでは逆に病気が悪化しそうです。
昭和30年代まで、国鉄の電車内のトイレは「垂れ流し」でした。列車が走行中、トイレの下にある穴から直接外へ排泄物が落ちる仕組みで、路線沿いの住民からの苦情が絶えなかったそうです。最終的にこのシステムは2002年まで使われていたというのですから驚きです。
昭和の終わりまでは、消費税という概念が存在しませんでした。平成元年に導入された際、最初の税率は3%でしたが、昭和の人々はこの税金がなかった時代を懐かしむでしょう。それまでは物品税という形で商品ごとに異なる税率が課せられていたのです。
昭和の学校生活と言えば、女子の体操服として「ブルマ」が定番でした。1980年代まで続いたこのスタイルも、セクシャルハラスメントや露出問題から1990年代に廃止されましたが、ブルマ姿で運動する女子学生の姿は、昭和時代の象徴とも言える光景です。
携帯電話やスマートフォンが普及する前、昭和では公衆電話が連絡手段の主流でした。特に駅や街中に設置された公衆電話は、学校帰りや遠出の際の頼みの綱でした。10円玉を握りしめて、相手に電話をかけるあのドキドキ感は、昭和ならではの体験です。
携帯電話がない時代、好きな相手に連絡するには家の固定電話にかける必要がありました。そこで乗り越えなければならなかったのが「親が電話に出る」という壁。親が出るたびにドキドキし、告白どころか何を話すかも忘れてしまうのは、昭和ならではの青春の一ページです。
結核予防のため、駅のホームには「タンツボ」が設置されていました。そこに痰を吐き出すことで、病気の感染を防ぐという目的でしたが、令和の現代では衛生的にも考えられない光景です。タンツボは2005年まで存在していたそうです。
今では130円や160円が当たり前ですが、昭和時代の自販機のジュースはすべて100円で買うことができました。消費税の導入と共に少しずつ値上げされ、今ではその当時が信じられないくらいの価格差があります。
昭和の商店街はどこも活気に満ちており、地元の人々で賑わっていました。今では大型スーパーやショッピングモールが主流となり、商店街の多くが姿を消してしまいましたが、昭和時代の商店街は生活の中心地だったのです。
昭和の車は、時速100kmを超えると「キンコンキンコン」と警告音が鳴る仕組みがありました。これはスピードの出しすぎを防ぐためのものでしたが、家族旅行で高速道路を走る時、この音が鳴ると「もう100km出してる!」と子供たちが騒いだのを覚えている人も多いでしょう。
昭和の街角には、普通に野良犬が歩き回っていました。今では考えられない光景ですが、当時は保健所の対応も遅れており、野良犬との遭遇は日常茶飯事でした。
学校の授業では、OHP(オーバーヘッドプロジェクター)が活躍していました。透明シートに書かれた文字やイラストがスクリーンに映し出されるこの機材は、昭和時代の教室でよく見られた光景です。
昭和時代、学校での体罰は今ほど厳しく規制されていませんでした。教師が生徒を叱るために手を出すことも珍しくなく、それが教育の一環とされていた時代でした。
自動改札機が普及する前、駅員が改札で切符を切るという作業が行われていました。切符を手に持って列を作り、駅員さんがパンチで切符を切るあの光景は、昭和ならではです。
写真を撮る際にはフィルムカメラが主流で、撮った写真を現像するまで仕上がりが分からないというドキドキ感がありました。
今ではスマホで瞬時に撮影し、確認することができますが、当時の写真撮影は一つのイベントでした。
今ではカフェが主流ですが、昭和の時代には「喫茶店」がデートの定番スポットでした。ちょっとしたケーキセットを頼んで、静かな雰囲気の中で語り合う時間は、若者にとって特別なものでした。
今ではペットボトルが当たり前ですが、昭和時代には駅のホームで売られている飲み物は瓶入りが主流でした。飲んだ後に瓶を返却するという一連の流れも、当時の人々にとっては日常の一部でした。
夏休みの朝、町内で行われるラジオ体操は、昭和の子供たちにとって夏の恒例行事でした。みんなで集まり、カードにハンコを押してもらうあの風景は、今でも懐かしく思い出されます。
昭和の時代、子供がお使いでタバコを買うことが普通にありました。親に頼まれて「タバコください」とお店に行き、店員さんも特に疑問を持つことなく売っていたのです。
今では考えられない光景ですが、これも昭和ならではの緩さです。
昭和のやばい日常――それは今から見れば驚きの連続でした。しかし、その自由さや大胆さこそが、昭和という時代の魅力でもありました。皆さんも、ぜひ自分の昭和の思い出を振り返ってみてください。