父がまだ若かった頃、昭和38年か39年の時代――独身時代の彼が仲間たちと一緒に愛媛県松山市の道後温泉を訪れた旅行の思い出が、今も鮮やかに蘇ります。当時の彼が撮影したアルバムには、道後温泉の風景や仲間たちとの楽しいひとときが、色あせた写真の中に静かに息づいていました。
父のアルバムの一角に、その証拠ともいえる写真が収められていました。そこには、道後温泉の看板や、その時代の観光名所である道後公園の姿が映っていたのです。実際に訪れた父の姿を写真から辿ることで、まるでタイムスリップしたかのように、その当時の空気感が私にも伝わってきます。道後温泉、松山市の街並み、昭和の若者たちの笑顔――すべてが鮮明に感じられる瞬間でした。
当時、父に四国を訪れたことがあるのかと尋ねたとき、彼は「道後温泉に行ったことがある」と少し誇らしげに話してくれたことを思い出します。きっとその話が、このアルバムに残る旅のことだったのでしょう。温泉に浸かりながら、仕事仲間と談笑する彼の姿が目に浮かびます。父のその時の表情をもっと知りたかった。もっと詳しく、彼が何を感じたのか、何を思ったのか聞いておけばよかった――そんな思いが、今になって胸に込み上げてきます。
道後温泉は、古くから湯治場として知られ、多くの文豪や著名人が訪れた場所でもあります。夏目漱石も『坊っちゃん』の中でその魅力を描いたほどです。父もまた、その歴史的な温泉街で、心を癒され、若き日の思い出を刻んだに違いありません。温泉の湯けむりの中で、時を忘れ、仲間たちと笑い合うその光景は、昭和の懐かしい風景そのものです。
私は、父の旅に思いを馳せながら、まだ訪れたことのない道後温泉に対して、憧れにも似た気持ちを抱いています。
道後温泉に関する父の思い出をもっと聞いておくべきだった――そんな後悔とともに、父の残したアルバムをめくるたび、彼の旅路が少しずつ私の中で鮮明になっていきます。旅行の中で、父が感じた小さな驚きや喜び、その瞬間を共有できたなら、どんなに素敵だったことでしょう。
それでも、彼のアルバムに残る写真たちは、その欠けたピースを補うかのように、当時の道後温泉の美しさや、父の笑顔を今に伝えてくれます。彼が道後温泉で過ごした時間は、ただの観光旅行以上のものであり、彼の人生にとっても特別なものだったのでしょう。
この旅行を特別なものにしたのは、単に場所や景色だけではありません。仲間と過ごす時間、日常から離れたひととき、そして何より、道後温泉の歴史と温もりが、彼にとって特別な感情をもたらしたのだと思います。
父の思い出を辿りながら、私もいつか道後温泉を訪れ、彼が感じた温泉のぬくもりを体験し、松山の風景に身を委ねたいと思います。父が感じた驚きや喜びを、今度は私が受け継ぐ番です。昭和の時代に、父が刻んだ道後温泉での記憶を、私もまた新たに刻み込みたいと願っています。