昭和の時代、さまざまな職業が存在し、今ではほとんど目にすることがない職業もあります。本記事では、いつの間にか姿を消してしまった昭和の職業を紹介します。その中には、時代の変化に伴い消滅したものもあれば、進化を遂げたものもあります。
まずはエレベーターガール。1929年に松坂屋上野店で初めて採用されたとされるこの職業は、エレベーターを操作しながら、乗客を各フロアへ案内する重要な役割を担っていました。当初、エレベーターは手動で運転されていたため、運転手が必要でしたが、次第に自動化が進みました。
エレベーターガールは、独特の制服を着用し、華やかさを演出しましたが、実際の仕事はかなりの重労働でした。混雑するエレベーター内での案内や操作、さらには各フロアでの呼び込みを行うため、マルチタスクが求められたのです。しかし、1990年代にはバブル崩壊や人件費削減の影響を受け、ほとんどのエレベーターガールが姿を消しました。現在では、限られた店舗でのみ見かけることができます。
次に紹介するのは、タイピストです。彼女たちは、手書きの文書や口述の内容をタイプライターで清書する仕事をしていました。初期のタイピストは外国語に堪能な女性たちが多く、主に良家の子女がこの職業に就いていました。時代が進むにつれ、一般の女性もこの職業に就くようになりましたが、パソコンの普及により、タイピング技術は次第に必要とされなくなりました。
タイピストは、特に英文タイピングのスキルを持つ女性が外資系企業で重宝され、高級職に就くことも多かったのですが、現在ではその存在は過去のものとなっています。
昭和初期、紙芝居屋さんもまた人気の職業でした。紙芝居は、絵を見せながら物語を語るという、視覚と聴覚を楽しませる娯楽です。平安時代にルーツを持つとされるこの職業は、江戸時代にさまざまな形で発展し、昭和には子供たちの娯楽として広まりました。
しかし、テレビの普及と共に紙芝居屋の数は減少し、現在ではほとんど見かけなくなりました。紙芝居そのものは、今でも教育的な用途で使われることがありますが、昭和の賑やかな紙芝居屋の姿は失われつつあります。
最後に紹介するのは、電話交換手です。明治時代から存在し、電話の接続を手動で行っていました。当初は市街地だけに限られていましたが、電話の普及と共にその需要は増加しました。電話交換手は、電話をかける際に必要な役割であり、様々な情報を交換する重要な仕事でした。
しかし、1960年代から1980年代にかけて自動化が進み、特にクロスバ方式の導入により、電話交換手の存在は次第に不要となりました。
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