福代です、青いだぜ。最近、友達の結婚式に行ってきたんだけど、情勢の影響で小規模だったの。私のイメージでは結婚式と言えば、最後にブーケトスが行われるものだと思ってたんだけど、そこではやらなかったのよね。どうやら最近は、独身の人に失礼だということで、ブーケトスを行わない傾向があるみたい。帰った後、調べてみたら、私のイメージは古かったのね。
時代の変わり目を感じると同時に、今までの常識が通用しないものが増えているなぁと実感する。ブーケトス以外にも、昭和時代には一般的だったものがたくさん消えてしまった。私も全然把握しきれていないわ。そこで今回は、一般的ではなくなってしまった昭和のモノを紹介していこう。
最初に紹介するのは、レーザーディスク、通称LDだ。1972年にオランダで誕生したこの直径30cmのディスクは、両面で最大2時間の映像を記録できる光ディスクで、販売当初は「映像のレコード」というキャッチフレーズが使われていた。1981年には日本のパイオニアが製品化を始め、販売競争が始まった。しかし、同時期に登場したVHDとの争いは激化した。
VHDを開発したのは今のJVCケンウッドで、日本の技術と海外の技術がぶつかり合った。
レーザーディスクは高画質で、ディスクの劣化が少ないという技術的優位を持っていた。1985年からはアニメの録画が低価格で販売され、レーザーディスクの時代が幕を開けた。しかし、1996年に12cmサイズのDVDが登場し、レンタルも許可されたことで、レーザーディスクは瞬く間に顧客を奪われていった。2009年にはパイオニアがプレーヤーの販売終了を決定し、一つの時代が終わったのだ。
次に紹介するのは、日本の夏の風物詩、蚊帳だ。風は通すけど虫は通さない1ミリほどの網で、快適に睡眠をとるために使われていた。昭和中期までは各家庭で使用されていたが、エアコンや網戸の普及により、需要は減少していった。蚊帳は主に蚊を防ぐためのもので、エアコンのおかげで窓を開けること自体が少なくなったのが理由だ。
しかし、蚊帳は日本だけでなく、アフリカなどでは今でも重宝されている。マラリアが猛威を振るう地域では、蚊帳は欠かせない存在で、日本の技術が世界で活躍していることに誇りを感じる。
三つ目に紹介するのは、缶切りだ。昔はおばあちゃんが缶切りを使って桃の缶詰を開けてくれたことを思い出す。だが、最近では缶切りが必要になることが少なくなってきた。イージーオープンエンドという、取っ手が付いた缶が増えたためだ。
今では多くの缶に取っ手が付いているので、缶切りがなくても開けられる。しかし、災害時などの備蓄として缶詰が必要になる場合、缶切りのスキルは依然として大切だ。いつか本当にすべての缶に取っ手が付いて、缶切りが不要になる日が来るのかもしれない。
四つ目は、デパートの屋上にあった遊園地だ。懐かしい思い出がいっぱい。1950年代から60年代にかけて最盛期を迎えた屋上遊園地は、今や数えるほどしか残っていない。屋上で遊ぶというアイデア自体が斬新で、親子で楽しめる場所として人気だったが、安全性の問題から次第に姿を消していった。
現在残っている屋上遊園地も厳しい経営を強いられているが、地元の人々にとっては大切な思い出の場所である。こうした遊園地が残り続けてほしいと願う。
五つ目は、トンネルのオレンジ色の照明だ。最近のトンネルでは、オレンジの照明ではなく、白色のLEDランプを採用するところが増えている。オレンジの照明は排気ガスの中で視界が良くなるために使われていたが、車の排気ガスの量が減ったことで、今では白色照明が主流になっている。
これにより、より鮮明に周囲を見ることができるようになった。トンネルに入る際、オレンジの照明を見かけることが少なくなり、昭和の名残を感じる機会が減っている。
六つ目は、小学校の理科と社会の授業だ。平成元年から、小学12年生の授業から理科と社会が消え、生活科に統合されることになった。子供たちが具体的な活動を通じて考えることを重視するために設けられた授業で、地域によって内容は異なるが、子供たちが飽きずに学べる工夫がされていた。
七つ目は、苺スプーンだ。スプーンの裏にブツブツがついているあれは、苺を潰すために開発された。
1960年代、酸味が強い苺を美味しく食べるために必要な道具だったが、現在では甘い苺が主流になり、苺スプーンはほとんど使われなくなった。
それでも、今では離乳食や介護食を食べるときに利用されることがある。時代と共に変わる使い方も興味深い。
最後に紹介するのは、和式トイレだ。現在ではほとんどの場所で洋式便器が採用され、和式トイレはほとんど見かけなくなった。使いづらさや、清潔感の問題から、洋式トイレが普及した。和式トイレの出荷比率は、1993年には83%だったのに対し、2015年にはわずか0.7%にまで減少してしまった。
このように、昭和のモノたちは時代と共に姿を消していく。
懐かしさを感じつつ、変わりゆく時代に適応していく様子を見るのは、少し寂しい気持ちにもなる。しかし、こうした思い出があるからこそ、今の時代があるのだと感じる。昭和の名残を感じるこれらのモノたちが、私たちの心の中で生き続けることを願っている。