観光6年(1011年)冬、藤原家では喜ばしい出来事が訪れた。藤原の明子が第二子を無事に出産し、土門殿では出産を祝う盛大な宴が開かれた。貴族たちが一堂に会し、祝賀の席は賑やかさに満ちていたが、内大臣藤原の金星や宇大臣藤原の秋光の姿はなく、重臣たちの不在が不安を感じさせた。
宴の最中、藤原道長は静かに口を開き、未来への思いを口にした。「私の目の黒いうちに、敦平様が位に就く姿を見たいものだ…」その発言は、周囲の貴族たちに緊張感をもたらした。道長の強い願望が表れたこの言葉が、藤原家の今後に大きな影響を及ぼすことになる。
年末、まひろは父・藤原のため時の屋敷に戻り、家族と共に年を越すことになった。道長から贈られた豪華な織物を持ち帰ったまひろは、それを見て父や藤原の信妹たちが感嘆の声を上げる様子を見守る。
温かい家族の雰囲気に包まれながらも、ため時の一言がまひろに衝撃を与えた。「やっぱり自分の子は特別に可愛いものだ…」
この言葉から、まひろは初めて自分の実の父親が、亡き夫・藤原の信ではなく、藤原道長であることに気付く。まひろにとっては信じがたい事実だったが、その瞬間から、彼女の人生観は大きく揺れ動くこととなった。
年が明け、まひろは再び京都に戻り、日々の執筆に励む生活を再開した。現時の物語に情熱を注ぐ彼女のもとに、道長が訪ねてくる。正月の宴の際、父ため時が宴を途中で退出したことについて、道長はまひろにその理由を尋ねた。まひろは、「華やかな席で緊張していたのでは」と答えたが、その答えに道長は納得することはなかった。
道長は心中に何か不安を抱いている様子だったが、その理由は明かされることはなかった。その後、藤原家にさらなる波乱が押し寄せる。
その頃、藤原の伊周は病に伏しており、日増しに病状が悪化していた。1月27日、弟の藤原の高や息子の藤原の道が伊周を見舞いに訪れたが、伊周は無念そうに呟いた。「父も母も妹も、あっという間に亡くなってしまった。そして、私は全てを奪われて死ぬのだろうか…」彼の言葉には、絶望と悲しみが滲んでいた。
高は兄を慰め、言葉をかけた。「熱心王様のことは、私にお任せください。安心して旅立ってください。」だが、伊周の運命は避けられず、その翌日、36年の生涯を終えた。
伊周の死は藤原家にとっても大きな損失であり、その知らせを聞いた道長もまた、藤原家の未来に対して深い憂慮を抱くこととなる。
7月16日、藤原の惟規が元服を迎える前夜、彼は明子との別れを惜しんでいた。「母なき後、中宮様に賜わりましたご恩は忘れません。
」彼の涙ながらの言葉に、明子もまた感謝を込めて励ました。「立派な三門になるために、努力しなさい。」
この別れの情景を目にした道長は、まひろに懸念を伝えた。「惟規が『光る君』の物語に影響され、義母に恋をし、不義の道を進むことはないか心配だ。」だが、まひろはその心配を軽く受け流した。「惟規はただ寂しいだけでしょう。」その軽率な態度に、道長は苛立ちを募らせた。
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