第四十話では、藤原道長と中宮・彰子(明子)の対立が大きな焦点となりました。今回のエピソードは、一条天皇の崩御を巡るさまざまな出来事を描きつつ、その背後にある親子間の心理戦や、天皇家と藤原家の権力闘争が明確に描かれています。
特に、天皇の上位(退位)や次期東宮の選定をめぐる場面では、明子がついに覚醒し、父・道長に反旗を翻す姿が強烈に描かれています。これにより、長らく道長に従順だった明子が、母親としての強い意志を示すようになります。
明子は自分の実子である敦平親王ではなく、貞子の子である敦康親王を次期天皇に推したいと考えていました。これにはいくつかの理由があります。第一に、それが一条天皇の遺志であったこと。第二に、明子自身が孤独な時期に敦康親王を心の支えとしてきたこと。第三に、彼女はまだ若く、敦平親王が天皇になる未来を待つ余裕があったことです。
一方で、道長は自身の孫である敦平親王を天皇にしたいと強く望んでおり、すぐにでも自身が摂政として権力を握りたいという焦りがありました。道長は45歳という当時では高齢に近い年齢であり、長い寿命を期待できない状況にありました。そのため、彼は早急に権力を確立し、自らの孫が天皇に即位することを急いでいました。
一条天皇の死は、藤原道長が依頼した占いが大きな影響を与えました。占い師の大江野正平は、天皇の命運を占い、その結果を道長に伝えました。この結果は、天皇に大きなショックを与え、彼の精神的な衰弱を加速させたと考えられています。道長はその占いの結果を涙ながらに聞き、天皇はその姿を目撃し、自身の死を確信したと言われています。
現代の視点から見ると、占いによって命運を決められるというのは信じがたいことですが、当時の貴族社会においては、占いは非常に重視されていました。
その結果、天皇は避けられない運命に屈し、回復の兆しを見せていたにもかかわらず、死を迎えることとなりました。
一条天皇が亡くなる前夜に詠んだ和歌もまた、解釈が分かれる謎の一つです。「露の身の風の宿りに君を置きて、塵を出でぬることぞ悲しき」という和歌は、天皇が誰に向けて詠んだのかが議論されています。
藤原雪成の日記では、この「君」は亡き皇后・貞子を指しているとされます。しかし、『栄花物語』や『新古今和歌集』では、この「君」を中宮・彰子と解釈する説もあります。また、敦康親王に向けた和歌であるという見方もあります。どの解釈が正しいのかは未だに明らかにされておらず、天皇の心中に秘められた想いが謎のまま残っています。
ドラマでは、一条天皇の死後、藤原道長が次期天皇を決める際にどのように行動したかが描かれました。
道長は自分の孫である敦平親王を推し、雪成もこれに同調しました。しかし、最初は敦康親王を支持していたかに見えた雪成が、最後には道長の意向に従う姿勢を見せ、敦平親王を次期天皇として推薦する展開となりました。
この手のひらを返したような雪成の行動には、視聴者の中にも違和感を覚えた人が多かったのではないでしょうか。実際、雪成が一条天皇に忠誠を尽くしていたにもかかわらず、最後には道長に寄り添うという選択をした背景には、彼の政治的な計算があったと考えられます。
雪成は、政治家として自らの将来を考えた結果、道長に忠誠を尽くすことが最も安全な道だと判断したのでしょう。
一条天皇は生前、土葬を希望していたとされますが、藤原道長はその願いを無視し、火葬にしました。これにはいくつかの理由が考えられています。まず、天皇が貞子と同じ形で葬られることを避けたかったという説があります。
また、道長は迅速に新しい時代を切り開きたいという思惑があり、天皇の遺志を無視してでも、早く天皇の存在を過去のものにしたかった可能性が指摘されています。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=Ghy5XYHFCis&t=20s,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]