一条天皇が崩御し、その哀しみは一年を経てもなお色褪せない。中宮・彰子にとって、最愛の人であり心の支えだった天皇の死は、まるで心の一部が引き裂かれるような出来事だった。悲しみから立ち直ることができず、深い喪失感に苦しむ彼女の様子を見た藤原道長は、なんとかその心を慰めたいと願っていた。しかし、どんな慰めの言葉も、天皇への想いを埋めることはできなかった。
そんな中、ある夜、彰子の夢に一条天皇が現れた。彼の姿はぼんやりとしたもので、はっきりとは見えなかったが、その存在を感じただけで彼女の心は揺れ動いた。
「遠くとも 今はなまさねの 夢ならでいつかは君を または見るべき」
この和歌は、新古今和歌集に遺されており、彰子が一条天皇を想い、夢でほのかに逢えた瞬間の切ない気持ちを表現したものである。夢の中でしか逢えないという現実に、彼女の哀しみと深い未練が詰まっている。
この一年間、藤原道長は娘である彰子の状態を常に心配していた。道長は権力者としての顔だけでなく、父親としての一面も持っており、娘の悲しみが長引くことを懸念していた。天皇の死後、彰子の元に寄り添う形で彼女を支え続けてきたが、彼女の心が癒える兆しはなかなか見えなかった。
「夢で逢えたことが、せめてもの慰めとなったのだろう」と、道長は内心で思いつつも、現実世界での孤独感に苛まれる娘をどうにかして救いたいという思いが強かった。
彰子が詠んだ和歌には、一条天皇への変わらぬ愛と、再び逢いたいという切なる願いが込められている。「遠くとも 今はなまさねの 夢ならで」という言葉には、夢の中でしか天皇に逢えないという現実への嘆きが滲み出ている。続く「いつかは君を または見るべき」という句には、いつか現実でも再び天皇に逢える日が来るのではないかという希望がほのめかされている。しかし、それが叶わないことを彼女自身も理解しており、そこに哀愁が漂う。
この和歌は、単なる恋愛の嘆きではなく、愛する人を失った深い悲しみと、それでもなお未来に希望を抱こうとする人間の心の強さを表している。
天皇が崩御してからの一年間、彰子は心の中で様々な葛藤を抱えていた。
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