昭和39年(1964年)、寒さが増してくる11月のある日、母ちゃんと僕はいつものように買い物に出かけるところでした。この頃の日本は、戦後復興が進み、家庭の中でも徐々に生活が安定してきた時期。それでも、贅沢はできない生活が続いていました。そんな中、母ちゃんはいつも僕をおんぶして、ぬくぬくとした「ねんねこ半纏」を羽織りながら過ごしていました。
この写真に映る母ちゃんの笑顔、何か特別な喜びがあったのでしょうか?それとも、ただ僕を背中に感じながら、温かさに包まれていたからこその笑顔だったのでしょうか。背中の僕はまだ幼く、周りのことはよくわからなかったけれど、母ちゃんの背中にいると、世界は安全で、何も怖いものはありませんでした。
前日、父ちゃんは「こんぴらさん」に参拝に行っていたけれど、期待していたタイコ・マンジュウのお土産は無かったんです。楽しみにしていた僕と母ちゃんは少しがっかりしたものの、父ちゃんが無事に帰ってきたことが一番の安心でした。母ちゃんはそんなことも気にせず、次の日にはこのように元気に笑顔を見せてくれていたのです。もしかしたら、こうした小さなことが日常の幸せで、母ちゃんにとっては大したことではなかったのかもしれません。
この時代、家族の絆は今よりもずっと強く感じられていたように思います。物があまり豊かではなかった昭和の時代、特に地方では、家族みんなが協力して生活を支え合っていました。家事、育児、そして近所付き合い。母ちゃんはいつも忙しくしていたけれど、僕をおんぶしている時だけは少しゆっくりできる時間だったのでしょう。
「ねんねこ半纏」で僕をおんぶして歩く姿は、どこの家庭でも見られる光景でした。
寒さが厳しくなってくる中、母ちゃんは毎日僕をおんぶしながら、家事や買い物をこなしていました。家の外へ出ると、冷たい風が吹いてきますが、僕は「ねんねこ半纏」に包まれていたので、とても暖かかったのを覚えています。母ちゃんの背中は、僕にとってまるでお布団のような心地よさがありました。
このような小さな幸せは、母ちゃんにとっても日々の癒しだったのかもしれません。仕事や家事、そして家族のために尽くす中で、母ちゃんがふと見せる笑顔には、そんな日常の喜びが表れていたのでしょう。物はなくても、心は豊か。母ちゃんの背中で感じたその温もりは、今でも鮮明に覚えています。
この写真は、昭和の家庭の中で育まれた愛情や絆を感じさせる一枚です。時代が変わっても、家族の愛情は変わりません。
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