NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、毎回視聴者を魅了する三谷幸喜の手腕が光る作品です。5月25日の回、僕はその圧倒的なストーリーテリングに改めて心打たれました。特にこの回で描かれたのは、源頼朝の弟、源義経の最後の瞬間でした。そして、その結果として、視聴者は頼朝がどのようにその事実を受け止めるかを見ることになったのです。
物語のクライマックスは、義経の首が桶に納められ、頼朝の元に届けられる場面。大泉洋が演じる源頼朝がそれを抱えて涙するシーンでは、彼の演技が一層光りました。しかし、ここでの感動は単純ではありません。頼朝が泣いた理由を考えることが、このドラマの深みを理解するための鍵となります。
まず、第一の解釈として、一般的な視聴者が感情移入しやすいのは、兄弟愛の表現です。頼朝は義経の首を抱え、日本一の勇者だと涙ながらに褒め称えます。このシーンは、表面的には兄の愛情として受け取れます。大泉洋の演技が登りきると同時に、視聴者はその真情に心を動かされるでしょう。
しかし、三谷幸喜作品が単なる感動に留まらないことを忘れてはいけません。
次に、第二の解釈として、人間の心理の深層に迫ります。頼朝が涙を流したのは、実は安心からくるものだと考えることができます。陰謀に満ちた時代、自身と家族の命が常に危機にさらされていたため、義経を追い詰める決断をせざるを得ませんでした。兄弟をそうまでして追い詰めたことで彼の心は重荷を背負うことになります。全てが終わり、緊張の糸が切れたことで、初めてその罪悪感に浸る余裕が生まれ、涙が溢れたのです。頼朝の狡猾さと弱さ、安心したことによる人間的な脆さが、このシーンで見事に表現されています。
そして、第三の解釈は、三谷幸喜の人間観察の鋭さを物語ります。
義経を悪意なくしても未来の脅威として排除した頼朝は、家族を愛し、良い夫であり父であろうとする人でもあります。それでも、実の弟を犠牲にしてまで自己を保つ選択をした彼の行動には底知れぬ恐ろしさがあります。涙を流すことで自分を「いい人」と見せたいという欲求があり、彼はその過程でやっと涙を流す自由を得たのでしょう。人間の自己陶酔とその二面性を描く、この深みにこそ、三谷作品の魅力が存在します。
このように、三谷幸喜の脚本は、表面上の解釈だけでなく、深層に潜む複数の視点を持つことを求めます。どう見ても「鎌倉殿の13人」は多角的な楽しみ方を提供し、視聴者に多様な感情の引き出しを開けさせます。
大泉洋の演技に関して、第一ステージの解釈がネットの記事で多く見られましたが、三谷作品にはもっと深い仕掛けが存在するのです。この記事を通して、その奥深さを少しでも感じ取っていただけたなら幸いです。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=ZStChVjXpMY,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]