鎌倉幕府成立に重要な役割を果たした「十三人の合議制」。そのメンバーの一人である梶原景時(かじわらかげとき)は、源頼朝の命を救ったことから「鎌倉殿の忠臣」として名高い人物です。しかし、その忠義ゆえに他の御家人から強く反感を買い、最終的には悲劇的な最期を遂げることになりました。
1180年、頼朝が挙兵し、石橋山の戦いで平家と戦うものの、味方の三浦一族が合流できず、頼朝軍はわずか300人で平家軍3000人に立ち向かうことになります。頼朝軍は大敗を喫し、頼朝は岩谷の洞窟に逃れ命の危機に晒されます。そこに登場したのが梶原景時でした。
景時は頼朝の潜伏先を知りながら、上司である大庭景親(おおばかげちか)には「頼朝はいない」
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