2024年10月17日、日本中に衝撃が走った。俳優・西田敏行さんが76歳で亡くなったという訃報が発表されたのだ。彼は自宅で倒れ、病院での救命措置も虚しく、そのまま帰らぬ人となった。しかし、この偉大な俳優を陰で長年支え続けた存在、彼の妻・西田寿子さんの存在に目を向ける人は少ないかもしれない。
二人の出会いは1974年、寿子さんがまだ23歳、西田さんが27歳の時。劇団「青年座」の研究生だった寿子さんに、一目惚れした西田さんは、猛烈なアプローチを開始したという。彼女のアパートに転がり込む形で同棲生活をスタートさせた二人。その当時、アパートには布団が一つしかなかったとされ、極貧生活が始まった。しかし、そんな状況にも関わらず寿子さんは「女優だから布団は必要だけど、それ以外は何もいらない」と語ったそうで、その言葉に西田さんは感銘を受け、ますます惚れ込んだのだ。
寿子さんも元々は女優を目指していたが、西田さんとの生活が始まると、彼女は自らその道を断念し、西田さんを支えるためにアルバイトを掛け持ちして生活を支えることを決意した。彼女の覚悟は並大抵のものではなかった。
結婚後、二人は東京都世田谷区の家賃3万5千円の小さなアパートで生活を始めた。お金に困り、新婚旅行にも行けなかったが、それでも二人は幸せだった。しかし、1977年、西田さんがテレビドラマのレギュラー出演を獲得し、ようやく家族の生活は安定していく。寿子さんの尽力と支えがあったからこそ、西田さんは俳優としてのキャリアを着実に築き上げることができたのだ。
西田さんは何度も病気と向き合ってきた。2001年には椎間板ヘルニアの手術を受け、2003年には心筋梗塞を発症。さらに2016年には、肝炎の診断を受けるなど、健康問題に苦しめられてきた。それでも彼を支え続けたのが寿子さんだった。
彼女は入院中も車椅子を押し、食事の介助や看護を続けた。その姿は、まさに献身そのものだった。夫が一度は断念したタバコと酒の禁煙・禁酒も、寿子さんの厳しいサポートによって見事に成功。彼女の存在なくしては、西田さんの闘病生活は成り立たなかっただろう。
実は、西田さんは一度、寿子さんに「育児がひと段落したら、女優に戻ってもいいんだよ」と声をかけたことがある。しかし、彼女はそれを断った。彼女にとっては、家庭と夫を支えることが最優先だったからだ。西田さんが映画やテレビに忙しくなり、家庭に時間を割けなかった時期も、寿子さんは文句一つ言わず、家庭を支えていた。
彼女が女優復帰を拒否したその選択には、西田さんに対する深い愛情と覚悟が感じられる。家族を守るという強い意志が、彼女を支え続けたのだろう。
西田さんと寿子さんの間には二人の娘がいる。長女のさやさんと次女の理沙さんは、幼少期にテレビCMで西田さんと共演したこともある。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=W1h-1R5K_pM,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]