映画やテレビで悪役としてその名を知られる室田日出男さん。彼は、かつての栄光とは裏腹に、孤独で悲惨な晩年を過ごしたことが明らかになっています。
室田さんは、東映ニューフェス第4期としてデビューし、若きスター候補として期待されていました。彼のお父さんは、石川県の小夜の出身で、戦争を機に北海道小樽に移住。そこで馬追いと呼ばれる運送業を営んでいました。室田さんはその父の元、自然の中で自由に育ちましたが、小学校3年生の時に父を、さらに後には母を失い、姉夫婦に育てられることとなります。青春時代は酒と喧嘩に明け暮れる日々が続きました。
彼の人生が転機を迎えたのは、姉が勝手に東映のオーディションに応募し、見事合格したことでした。1957年に入社し、1960年には『地獄行きだぜ』でスター候補としてデビュー。しかし、撮影に遅刻して謹慎を命じられるなど、波乱万丈なスタートを切りました。1961年には、映画『風来棒探偵赤板2の撃』の前夜にホテルで暴れ、またもや謹慎処分を受ける羽目に。
それでも、悪役として数多くの映画やドラマに起用され、特に鶴田浩司さんや松方弘樹さんの片腕として活躍しました。彼の演技は存在感があり、映画のクライマックスでの激しいシーンが印象に残ります。しかし、その裏には、またしてもロケ先での喧嘩が待っていました。自宅待機となり、最終的には東映との契約も解除されてしまいました。
その後、彼はキャストクレジットに名前が登場しない脇役として映画に出演していましたが、1975年には「ピラニア軍団」が結成され、再び注目を集めることになります。室田さんは、萩原健一さん主演のテレビドラマ『前略おふ様』に出演し、一躍人気者となりました。
1976年には映画『トラック野郎 防共1番星』にも出演し、その勢いに乗って1978年にはNHKの大河ドラマ『黄金の日々』に出演します。しかし、同年2月に覚醒剤不法所持で逮捕され、彼のキャリアは再び暗転しました。『黄金の日々』では収録したシーンがそのまま放送されるも、彼の名前はタイトルからカットされるという厳しい処分が下されました。
その後、室田さんは1980年代に日活のロマンポルノ映画『人妻集団 暴行地士事件』で復帰し、観客から高い評価を受けました。しかし、プライベートでは病との戦いが待っていました。1992年には映画『死んでもいいの』の撮影中に倒れ、腎臓の手術を受け、その後も健康状態は悪化の一途を辿りました。
晩年は、病との苦闘が続き、2002年に肺の病で他界。彼の妻は、最後の姿を見届けられなかったことを悔やんでいました。「あんなに体格のいい夫が、最後は小さくなって別人のようでした」と語る彼女の言葉には、深い悲しみが込められています。
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