Jリーグ初代MVPであり、常に日本サッカーを引っ張ってきた”KING・カズ”こと三浦知良。48歳でも現役で活躍している姿は精神的にも肉体的にも人間離れしています。
カズはなぜ48歳となった今でもまだ現役を続けていられるのか?そしてカズが”KING”と言われ続ける所以について少しでも核心に近づける様な記事があったので紹介。
もともと”KING”と呼ばれるようになった理由は、ドーハの悲劇で知られるアメリカW杯・アジア最終予選(93年)、北朝鮮戦でゴールを決めたカズに対し、中東のメディアが大きな見出しで「KING KAZU」と報じたことからです。日本メディアもそれに乗っかって、カズの事を「キング・カズ」と言い出しました。
しかし、私たちがキングと呼び続けるのには、カズの生い立ちや言動、後ろ姿をみて最大の尊敬の意を評して呼んでいるところが大きい。そんな事を思い知らされる様なコラムです。
サッカー少年。
一人の少年が進路希望欄に書いたのは、「ブラジル」。ブラジルで、プロサッカー選手になることが、少年の夢だった。
担任の先生は、激怒して職員室から追い出した。
サッカー部の先生には、「99%無理」と言われた。
少年は、「1%あるんですね?なら、僕はその1%にかけます。」と答えた。
少年は、15歳でブラジルに旅立った。
ブラジルのユースチームで、こんなことがあった。
少年がサッカーの格好をしているだけで、周りの人間は彼を笑った。
サッカーが下手くそなのは、代名詞のように「日本人」だと言われた。
だが、その少年は死に物狂いに練習を重ね、18歳でプロ契約を勝ち取った。
そして、ブラジルNo.1のサッカー雑誌の表示を飾った。
そして、青年は日本に帰国することを決意した。
次なる夢は、日本をワールドカップに連れて行くこと。
93年に開幕したJリーグ。
青年は、時代の寵児となった。
Jリーグの初代MVPは、青年の名前が刻まれた。
彼は、こう思っていた。
思い切りサッカーをして、30歳過ぎたら頂点で引退しようと。
94年のアメリカ・ワールドカップ予選、エースとして参加した青年だったが、ドーハの悲劇と呼ばれる、ロスタイムの失点で、日本の初出場を逃した。
青年はその後、ワールドカップに行くための何かを掴むため、日本人で初めて、セリエAに移籍した。
そして、98年のフランス・ワールドカップ予選。
苦しみながら日本は、ワールドカップの出場を決めた。
気がつくと、彼は31歳になっていた。
彼のワールドカップ予選の総得点は、27になった。
だが、ワールドカップ本選の代表に、彼の名前は記されていなかった。
記者会見で、こう話した。
「日本代表としての誇りは、向こう(フランス)に置いてきた。」
その年、チームから戦力外通告を受けた。
彼は、一人考えた。
「誰も、自分の知らないところへ行きたい。」
そして、彼はクロアチアに行くことを決めた。
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