梓みちよさんは、幼少期からバレー教室に通っていました。その教室の先生が元タカラジェンヌだったため、バレーにのめり込むようになりました。中学の時に初めて宝塚を見て感激し、月組トップスターに一目惚れします。男役になりたいと思った梓みちよさんは、母親に内緒で宝塚学校を受験し、一発合格しました。高校を中退し、16歳の時に宝塚学校へ入学した梓みちよさんは、在学中に渡辺プロダクションの社長に出会い、オーディションに合格しました。そして、歌デビューの話が舞い込んだことから1年半で学校を中退し、上京しました。
約1年間のレッスンを経て、1962年に梓みちよさんは歌デビューを果たしました。
しかし、1974年にリリースした「2人でお酒を」が大ヒットすると、日本レコード大賞で大衆賞を受賞し、紅白歌合戦にも5年ぶりに出場し、見事再ブレイクを果たしました。また、1976年に発表した「メランコリー」もロングヒットを記録し、以降も「よろしかったらなど」のヒット曲を世に送り出しました。彼女は1960年代から70年代にかけてヒット曲を飛ばし、多くの人々に愛されました。
2020年1月29日、梓みちよさんは自宅で倒れているのがマネージャーに発見され、その場で死亡が確認されました。死因は急性心不全でした。梓みちよさんは独身のまま生涯を終えました。
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